私はポッチャマと旅に出る
とうとうこの日が来た。
ポケットモンスター最新作、ブリリアントダイヤモンド・シャイニングパール発売日。
これから新しい思い出で更新される前に、今日までの私とポッチャマの15年を書き記しておきたい。
私は幼稚園〜小学校低学年の頃にアニメを見て好きになったタイプのポケモンファンである。
最初に見たのはアドバンス・ジェネレーション(AG)。
小学生女児の私はアチャモやタマザラシ、ジラーチといった可愛いポケモンに惹かれた。
そしてじきに始まったのがダイヤモンド・パール(DP)。
ここで私は運命の出会いをする。
相手の名前はポッチャマ。
初めて見たのはいつだっただろうか?アニメ開始前、近所のポケモンセンターで「ナエトル」「ヒコザル」「ポッチャマ」なるポケモンが載ったポスターを見上げた時の記憶は今でも残っている。その時それらの名前まで併記されていたかは定かではないが。
「……雪だるま?」
それが私のポッチャマに対する印象だった。まんまるな頭部、それと同じような形の胴体、なんとなく涼しそうなブルー基調の色合い。鳥らしい足はたしか写っていなかった気がする。
(余談だが、初見でポッチャマのモチーフを「ペンギン」と言い当てられる人はどれだけいるだろうか?)
そうしてポッチャマを知った私はDPのアニメを見て、ぬいぐるみを買ってもらい、かわいく描けるように絵を練習し、鳴き真似をするようになる。
何年経ってもずっとポッチャマが好きだった。愛らしい外見、プライドが高くいじっぱりな性格、いきいきとした声。
部屋にはポッチャマグッズが徐々に増え、有り難いことに友達にも認知されてプレゼントとしていただいたり。
アニメがベストウイッシュ(BW)に移る時は本当に悲しかった。そしてポッチャマ(と、他のキャラクター)が見られなくなることに絶望してアニメ視聴自体をやめてしまった。
さて、こんな私のポッチャマとの付き合いで欠けていたものがある。
それはゲームだ。
私の家庭は基本的にゲームを買い与えない方針だった。唯一買ってくれたのはたまごっち。その他、ゲームボーイ、PlayStation、DSといった類のゲーム機は買ってもらえなかった。
当時は不満だった。今なら、そういう方針も一理あるよなと思えるけれど。
いくら不満でも親を説得してゲーム機とソフトを買ってもらうには及ばなかったので、不満なまま「ポケモンのゲームやりたいな〜」とくすぶり続けた。
さて、ポケモンのゲームの中には過去作品のリメイクというものがある。私もファイアレッド・リーフグリーン、ハートゴールド・ソウルシルバーが発売されていることを知っていた。ならば、ダイヤモンド・パールもいつか生まれ変わって発売されるんだ。きっとその頃には大人になっているから、自分で買える。ポッチャマを連れて旅ができる。その期待が私の力になっていた。
だから、他のポケモンファンがダイヤモンド・パールを進行形でプレイしている時から私はいわゆる「ダイパリメイク」を待ち望むというレアケースだったのである。待機勢最古参だ。
その15年ほどの待機の間はまったくの空白だったわけではなく、予想外のこともあった。
ポケモンGOのリリースだ。
まさかスマホでポケモンのゲームができる日が来るとは思っていなかった。
当時私は大学一年生。さすがにゲームアプリを両親に止められるなんてことはなかったので、情報が出た頃からわくわくし通しで、当日は学内Wi-Fiで即インストール(学長ごめんなさい)。
最初は初代のポケモンしか出なかったけれど、ポケモンのゲームをプレイできる喜びは本当に大きなものだった。リリース日から約5年、起動しなかった日はおそらく1日か2日あったかどうかだ。
そして待つこと2年と少し。シンオウのポケモンが実装された。大学3年生の私は2限が終わってスマホを開くやいなやあの愛おしい二頭身のシルエットを近くに見つけ、駐車場へ追いかけて行き、震える手で画面録画しつつポッチャマを捕獲した。その時の記念すべきポッチャマには名前をつけ(ポチャすけ)、個体値など気にせず相棒にして1年以上連れ回した。
最近では待望の特別なコスチューム着用ポッチャマや、プレイヤーのアバター用のポッチャマ着ぐるみが実装され、ポチャ活がより一層捗っているところである。
正直そこでポッチャマ欲がかなり満たされた感じはある。
が、それはそれ、これはこれ。つい数日前、私にとって初めてのゲーム機であるSwitchを購入した。
今日家に帰ればブリリアントダイヤモンドのソフトが届いている。15年以上夢に見た、ポッチャマとの旅の始まりだ。
待っててくれてありがとう、ポッチャマ。